報告


日本外交の中立を求める国民大会、開催される。

58日、江東公会堂において「日本外交の求める国民大会~日本を滅ぼす対米追従外交とウクライナ問題~」が開催された。

大会には80名以上が大会に参加し、立ち見者が出るほどであった。

大会は第一部に講演、第二部にパネルディスカッション、そして第三部に「ウクライナ・オン・ファイヤー」と「ドンバス」というドキュメンタリー映像の鑑賞という三部構成で行われた。

田中健之会長による開会の挨拶がおわると、ロシア系の学童、生徒へのいじめや、在日ロシア人の飲食店や商店へのヘイトクライムが続いている現状を、カンノ・エレナ女史が報告した。

第一部では元初代防衛大臣の久間章生氏、ロシア大使館のイーゴル氏、ドネツク人民共和国を代表してオザワ・ヤニナ女史、ルガンスク人民共和国を代表してイリーナ女史、祖国再生同盟代表の木原功仁哉弁護士、黒龍會会長の田中健之が講演を行った。

大会では、部ごとの休憩時間前に篠原常一郎氏によるロシア歌謡の演奏があり、大会参加者から大変好評であった。

今日のウクライナ紛争はドンバス問題から始まったものであり、ドンバスの二人の代表者は、8年間にわたるドンバス戦争を終わらせるためにロシアは特別軍事作戦を発動したのであり、「ロシアはドンバスの解放者」であることを主張し、ウクライナ政府の非道さを訴えた。

第二部のパネルディスカッションでは田中健之会長をはじめ、総合司会であった南出喜久治弁護士、鈴木信之氏(日本国民党代表)、佐藤和夫氏(英霊の名誉を守り顕彰する会々長)、石濱哲信氏(一般社団法人日本安全対策推進機構代表理事)、篠原常一郎氏、クロチキナ・ナターリア女史、オザワ・ヤニナ女史、リャザノワ・イリーナ女史という顔ぶれで討論が行われた。

 

 

田中健之会長は「8年間犠牲を強いられ続けているドンバスの支援を行い続ける所存です」と話している。



黒龍會同人はドンバスを支持する。

 去る3月10日、ウクライナ紛争に於ける日本政府の対米追随外交に対する抗議、ならびにウクライナ人とロシア人を対等に扱うこと、また、ドンバス人民の避難民の受け入れなどの要請行動のため、ルガンスク人民共和国とドネツク人民共和国の連邦国家である「ノヴォロシア」の国旗を高らかに掲げ永田町に赴いた。11日には、渋谷ハチ公前広場で情宣を行った。

 

 この運動で掲げられたノヴォロシアの国旗は、東部ウクライナにおいて、ウクロナチズムとの戦火の中を駆け抜けドネツクから贈られた旗であり、掲げられたのはアジアで初のことである。

 

 内閣府、自民党本部、外務省ロシア課には、あくまで日本政府は中立という外交的立場を堅持することを申入れ、法務省人権擁護局ならびに出入国管理局には、在日ロシア人のビザ発給を、他国人民と差別なく滞りなく審査し発行すること、ウクライナのみならず、ドンバス人民の避難民も広く受け入れること、また避難民には即座に難民認定をすることを申入れ、文科省には両親または片親にロシア人をもつ子女に対する学校内でのイジメへの対策を講じることを申入れた。

 

 また、防衛省には防衛装備品を自衛隊機でウクライナへ供与したことへの抗議、三月初頭から始まった北方四島におけるロシア海軍太平洋艦隊の大規模軍事演習に対して十二分に警戒すること、文官のウクライナ支持の暴走を抑え、アメリカ追従の方針を改めることを申し入れた。



来島恒喜烈士殉国132年を迎える。

令和3年10月18日、田中健之会長は来島恒喜烈士墓前祭に参加しました。

132年前の明治22年10月18日は、玄洋社員の来島恒喜が不平等条約改正案に反対し、外務省表門で大隈重信に爆裂弾を投擲した日であります。

来島烈士はその後、宮城を拝し、懐中より取り出した短刀で自らの首を刎ねて壮絶な自決を遂げます。

大隈は右脚を失い外相を失脚したため条約改正は阻止されました。

襲撃された大隈本人は、来島烈士の生き様と死に様に感動し「赤穂浪士よりあっぱれだ」と讃え、彼の葬儀には花輪を届けています。

故郷福岡で行われた葬儀には千人以上の人々が参列し、頭山満は「天下の諤々は君の一撃に如かず」と、一言弔辞を述べました。

来島烈士の維新者としての精神は、岡田満、中岡艮一、佐郷屋留雄、血盟団、五・一五事件、二・二六事件、山口二矢、三島由紀夫、森田必勝などの人々に受け継がれていきました。

来島烈士については、アムールの風の第三回に詳細が載っております。是非ご覧ください。